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1971年6月千葉県木更津市に生まれる。1988年HIP HOPに接し、好んで聞くようになる。
DJに未来の音楽的な可能性を感じ、19歳でターンテーブルとミキサーを購入し、本格的にDJを始める。
自身の可能性を広げ、確かなものにするため上京。
都心のクラブやイベントパーティでDJをするようになる。
ミックスや選曲のセンスにどのクラブのフロアーも沸いた。
そして、DJのサウンドプロデューサーとしての在り方を意識するようになる。
影響を受けたDJは、キッドカプリ、ファンクマスターフレックス、ストレッチアームストロング等である。
1993年、この頃、東京で一番話題になっていた芝浦のクラブ「GOLD」でHASEBE主催のイベント「FAT RAT」を開催。予想通りの大盛況で、会場は彼のDJに踊る若者であふれた。
いつもレコードを購入するレコードショップ「CISCO」渋谷店のすすめでミックステープを制作し、初めてのミックステープ「DJ HASEBE #1」が誕生する。これが大評判で、レコード店の要望に応 え、続けて「DJ HASEBE #2」を産み出す。
そして、彼のミックステープに対する評価を受けて、彼は自身のDJとしての実力を確信した。 Busta Rhymesや海外からの有名アーティストの来日にあわせて、イベント会場でのオープニングアクトDJをする事が増え、国内の有名アーティストの全国ツアーのDJも担当するようになる
。 その頃から音楽業界にも「HASEBE」の名前が響き始める。
注目すべき人物としてファッション誌やカルチャー誌には度々登場。媒体に自身を露出することで、DJという職業への注目度を上げることに貢献。そして、「HASEBE」の名前を世間に広めていった。
1996年、初のプロデュース作品「アイスピック」を発売。
ラッパーにZEEBRA、MUMMY-Dをフューチャリング。当初アナログのみであったが、後にCD化され発売となる。
同時にミックステープ「DJ HASEBE #3」を制作。
そして、大きな流れがHASEBEにやってくる。現Sugar SoulのAIKOとの出会いである。
それは奇しくも2pacが亡くなった日であった。
最初はSugar Soulという企画ユニットへのDJとしての参加だった。
そこで、Sugar Soulのミニアルバム「Those Days」に収録されるHASEBEプロデュースの「今すぐ欲しい」が産まれる。そして、HASEBEのミックステープ「DJ HASEBE #4」がAIKOの参加で作られた。
まだ、いわゆる歌謡曲、POPSがヒットの大半を占めていた日本の中で、「これが日本のスタンダードになる」とHASEBEは予告していた。しかし、これには当時の誰もが疑問を投げかけていた。
だが、これが現実となる。
「今すぐ欲しい」は20,000枚のヒット。CDもロングランでセールスが伸び続ける。
そして、HASEBE名義のミニアルバム「adore」をリリース。
各方面からリミックスやプロデュースのオファーが相次ぐ。
手がけたアーティストのディスクについて、特にアナログに関してはプロモーションとしての役割を超越し、10,000枚以上のセールスが確約された。
また、1997年4月より2000年12月までレギュラーのクラブイベントとして「honey dip」を「渋谷HARLEM」にてDJ WATARAIらとともに毎週火曜日に実施。平日にもかかわらず、週末並みの集客 を誇り、様々なアーティストにプロモーションライブの場として活用されるようになっていった。
その流れは2001年1月より、場所を「西麻布yellow」に写し「fowl」として続けられている。
そして今、彼は常にネクストレベルの自分の姿を思い描いて、それに向かって挑戦を続けている…。

DJ HASEBE

http://www.djhasebe.net/

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